初来店は27才の冬。独り呑み。
今考えると非常に宮崎に飢えちょりました。。
当時東京に「もも焼き」という提灯を軒先にぶら下げているお店は存在しなかったんです。
六本木防衛庁の向いに『ももたろう』があったが少し形態がちがっていたので、
東京初の「もも焼き専門店」ではないかと思われる。
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芋焼酎も県外ではほとんどお目にかかる事はなく、芋焼酎といえば「薩摩白波」の独占市場でした。 そんなころに正六では「霧島」をおいてありました。 |
都会で主流の25度ではなく20度がおいてあったとですよ。
もうびっくり仰天でした。
もちろんフラッフラになるまでお湯割りのみました。。
宮崎弁を腹一杯しゃべりました。
これやなぁ〜って思いましたね。まじで。、
今は2代目が年中無休でやりよります。
ここは365日宮崎ど真ん中。
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